紀要論文(査読なし)を出しました
『東京大学宗教学年報』に紀要論文を投稿した。
「古代末期の西方キリスト教における聖人崇敬の研究動向―ピーター・ブラウン以降を中心に―」『東京大学宗教学年報』第40号、2023年、135-146頁。
本文ファイルは「古代末期西方キリスト教...」となっているが、「の」があった方がいい気がする。(実は編集の過程で間違えて「の」が入ってしまったのであるが...)
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/2007937
https://doi.org/10.15083/0002007937
投稿区分は「研究動向」すなわちサーヴェイ論文になる。他には「論文」や「翻訳」といった区分がある。
論じ切れていないこと、読み切れていない文献はもちろん山ほどあるが、大きな心残りが一つある。読んだ文献の中に紹介があったのに “Cult of the Saints in Late Antiquity” プロジェクトを紹介できなかったことだ。きちんとデータベースで色々調べてみて、使い方等含めて論文で紹介すればよかった。
プロジェクトウェブサイト http://csla.history.ox.ac.uk/
データベース http://csla.history.ox.ac.uk/search.php
ちなみに、『東京大学宗教学年報』での「研究動向」の投稿は2014年から始まっている。「「研究動向」欄の新設について」に区分新設の説明がある。
https://doi.org/10.15083/00074475
同じ第40号の巻頭論文、藤原聖子「宗教「学」をめぐる論争の変遷と現在 : 国際学会のアイデンティティ・ポリティックス」1−22頁は宗教学の現在を考える上で大変勉強になった。
https://doi.org/10.15083/0002007283
同じく藤原聖子「国際宗教学宗教史学会(IAHR)報告:二〇二三年国際委員会東京開催に向けて」『宗教研究』97巻1号、2023年、174−181頁も合わせて参照するといいだろう。
https://doi.org/10.20716/rsjars.97.1_174
上記論文のなかで「神学的な(theological/religionist)」宗教学は宗教学かという議論が起こっている経緯が示されていた。それでも、「神学的な宗教学」と「神学」は別物であるというのが読んでいての印象である。どこまで、宗教学はいつもなにを前提とするかに苦心している一方で、神学は逆に「開き直っている」部分がある。「神」などの超越性を前提として認め、「奇跡」などと言った現象も妥当性を認めている。宗教学内部でどのように自分の学知を位置付けるかというレリジョニストな宗教学のアイデンティティ・クライシスは、神学には存在していない。神学の立場は最初からはっきりしている。しかし、このことは「学知」としての自己反省性がないことを意味しているわけではない。例えば、第二バチカン公会議の原動力となり、公会議でも活躍したアンリ・ド・リュバックやジャン・ダニエルーなどは、バリバリの文献学者・歴史学者として教父神学や中世神学の研究に取り組んだ。第二バチカン公会議以降のカトリック典礼、カトリック神学はこれらの歴史研究に多くを負っている。
今やこういった第二バチカン公会議の導きの星々の存在が忘れられているような気がしてならないが、それはまた別の機会にいつか、、、
土居由美「〝LAR(生きられた古代宗教)〟アプローチによる古代宗教研究 : 地中海世界を事例としたその適用の可能性を巡って」96-115頁が、自分も言及したリュプケの「生きられた宗教」について論じている。古代末期の生きられた宗教に関する論文は日本語で読めるものもぼちぼち増えてきているので、今後の日本での研究も楽しみである。イェルク・リュプケの『パンテオン』も邦訳が出るらしい。
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