安倍晋三銃撃事件を受けて、「宗教」について
普段は現代のカルト問題や政教関係の研究ではなく、古代のキリスト教を研究しています。
2022年7月8日の安倍晋三銃撃事件を受けて、宗教学研究室に所属するものとして一通りは知っているつもりですので、基本的な論点をいくつか共有しておきます。最後に資料一覧も付しました。これは完全でも網羅的でもないのでフィードバックをいただけるとありがたいです。
2022年7月12日に初稿、21日に大幅に加筆修正してこれに至っています。元々は下記リンクに載せていましたが、こちらにも転載しておきます。7月に書いた頃から情勢にも変化があり、何か項目を加えてもいいのかもしれませんが、7月時点で私が何を考えて書いていたかを残すためにも修正せずそのまま転載しました。
https://docs.google.com/document/d/1OzaMthhAyPEMbLNmmvp4icIG9E7zd-FRtqcLFp4knLM/edit?usp=share_link
論点 「日本人無宗教論」について
日本で、自覚的に信仰を持っている割合は3割近く(注1)、新宗教の会員は国民の約1割に及ぶと言われる。あなたの普段接している人が特定の信仰を持っていても何ら変わった話ではない。
宗教は人間の文化にほとんど普遍的に存在していると言っていい現象である。今回の事件でなんでもかんでも「宗教怖い」というのもまた短絡的で、問題の所在を見失ってしまいかねない。
「私は無宗教です」という主張が意味するのは「私は教典・教義がある特定の団体に所属したり、それに基づいた実践をしたりしていないです」ということだろう。ここでの宗教概念とは、明文化された教義や信仰というものを重視する近代プロテスタント的な宗教概念によるもの(注2)。この辺りは磯前やアサドの議論に詳しい。「宗教は信じることから、科学は疑うことから始まる」というツイートが「バズ」っていたが、そんなに簡単に図式化できるのだろうか。人によっては「毎週日曜日に教会に通うところから」始まっているのではないか。アサドは中世キリスト教を「規律と訓練の体系」として捉え、信仰中心の宗教概念の近代性を指摘した。「信仰」ではなく「実践」でみた場合、この国の多くの人が宗教に関与している(注3)。これを読んでいる人にも身に覚えのある方は多いのではないか。なお、これはいいとか悪いとかの話ではない。
なにが言いたいかというと、あなたにとって宗教は無関係なものではないし、カルトもそうであるということ。
(注1) https://www.nhk.or.jp/bunken/research/yoron/pdf/20190401_7.pdf
(注2) 20世紀末にアサドから始まるいわゆる「宗教概念批判」である。
(注3) practice without belief とかいろんな議論がされている。
論点 「新宗教/新興宗教」について
研究者は学術的な用語として「新宗教」を用いる。「新興宗教」という語は「ハマる」という動詞とともに侮蔑的に用いられてきたからである。知った顔をして語る人で「新興宗教」という語を用いる人は、無視したほうがいいかもしれない(注1)。
具体的には幕末明治期以来に誕生した黒住教、天理教などから戦後の創価学会、そして幸福の科学など比較的最近のものまでが含まれる。
「仏教やキリスト教もかつては新興宗教だった」という言い方がされることもあるが、少なくとも宗教学ではそのような用い方はしない。(世俗化していくと思っていた)近代という時代に起こった宗教を指して「新宗教」と呼んでいる。
新宗教には成立時期などによって共通点もあるが、それでもそれぞれ教団の特徴があるので「新宗教だから〇〇」とレッテル貼りをするのは注意したい。今回の事件をきっかけに、新宗教の信者に差別・偏見の目を向けることはあってはならない。場合によっては彼ら彼女らは被害者である。それはさらなる分断と暴力を生む可能性すらある。
(注1) 人文系の学者でも「新興宗教」を使う人がいるのは誠に残念である。
論点 「政教分離」について
似た概念はもちろん諸外国にもあるが(注1)、国によってそれが指す内容は異なる。
日本の場合、政「府」が特定の宗教を支援することはダメだが、宗教が政「治」に参加すること自体は別に構わない。
従って、「△△党は〇〇教の協力を受けているから政教分離に違反している」という批判はお門違い(注2)。むしろその党や教団の主張内容、どういうところで共鳴しているのかを精査するべき。(注3)
宗教と政党といえば公明党が最も有名だろう。かつては創価学会と公明党が団体としても一体で活動していたが「言論出版妨害事件」を契機に教団と党を団体としては切り分け(注4)、党是からも強い宗教色を外すようになった。もちろん今でも最大の支持母体が創価学会であることは変わらない。
かつての世俗化論は、「社会はどんどん世俗化して宗教はその役割を失っていき、私的な領域にとどまっていく」というものだった。しかし近年はどうもそうではない現象が世界中でみられる。かつての世俗化論は無効とまでは言えないが、修正を求められているのが現状である。(注5)
「宗教は個々人の内面の在り方」のみに留めて理解しているとすれば、それは改めた方がいい。宗教は社会の中で、社会と関わりながら存在している。
(注1) e.g. laïcité (en France)
(注2) また信徒個々人の政治的信条の自由を認めているかどうかという問題も生じていることは確か。さらには教団の政治への参加の仕方が問われることもあるべきだし、その主張も自由な批判の対象とするべきである。
(注3) あなたが「それはけしからん」と考える分には自由。ただ「法的にけしからん」という訳ではないことは確認しておきたい。
(注4) 具体的に説明すると、人事を別にしたりした。
(注5) カサノヴァ『近代世界の公共宗教』などが代表例。ただ、「公共宗教」とはスペインやポーランドのカトリシズムくらい規模と存在感があるものを指す。統一教会は規模や社会での存在感的に見ても、「公共宗教」に該当するとは思えない。
論点 「カルトは宗教じゃない」言説について
「カルトは宗教じゃない。本当の宗教は人を幸福にする」(注1)という言い方。とくに伝統宗教側から上から目線で言われやすい。「テロを起こすようなイスラム過激派は本当のイスラムじゃない」というのもこの類。宗教学はいい宗教と悪い宗教を分類するためにあるのではなく、「宗教とは何か」というものを考える学問なので、こういう言い方はまずしない。
「カルト」は宗教学の用語としては「チャーチ」に対して用いられ、「社会と緊張関係にある新宗教」と『宗教学事典』では説明されている。似た用語に「セクト」というものもあり、「厳格な加入資格と生活態度を成員に要請する比較的小規模な集団」とされている。一方で「チャーチ」は社会全体を包摂せんとする宗教を指す。「チャーチ」という時に大体想定されているのは(中世的な)カトリック教会や国教会のことだと思ってもらっていいだろう。(注2)
カルトと言われる教団でしばしば問題とされ、指摘されるのは権力性や(物理的あるいは精神的な)密室性。組織を作る上で、程度の差こそあれ生まれるのが、教える側と教えられる側の関係。これが暴走してしまう時に問題は起こる。宗教団体に特有とまでは言わないが、宗教団体であればどこでも起こりうること。カトリック教会の聖職者による性的虐待問題も、権力性や密室性が被害者に沈黙を強いてきた。「カルトは宗教じゃない」と線引きして、自分には無関係とするポジショントークよりも、常にその危険に晒されていることに自覚的になったほうがいい(注3)。
「宗教は薬にも毒にもなる」と研究室のある先生はいつも言っている。ありきたりな表現かもしれないが、これに尽きる。
(注1) 私人なのでリンクは載せないが、実際このようなツイートが「バズ」っていた。
(注2) 櫻井義秀「カルト」星野英紀ら編『宗教学事典』丸善、2010年、296−297頁;三木英「セクト・分派」星野英紀ら編『宗教学事典』丸善、2010年、294−295頁。
(注3) もちろん冒頭で触れたように「宗教ならどっちもどっちで、みんな同じようなもんだ」という大雑把な議論に与するつもりもないことだけは付言しておく。
論点 統一教会と自民党
かなりインターネット上では情報が出ているのであまり必要ないかもしれないが、かいつまんで。塚田の書評(注1)が櫻井・中西『統一教会』の要約になっており、概要を知ることができる。
統一教会とは韓国で生まれたキリスト教系新宗教。
勧誘、合同結婚式、霊感商法などが有名。結婚で韓国に移住する日本人女性の少なくない割合がこの統一教会の合同結婚式によるものと言われる(もちろんこれとは関係なく、自由な結婚によって移住された方もいらっしゃる)。多額の献金問題は 7月12日の弁護士会の会見(注2)を見てほしい。脱会者の証言も聞くことができる。
教義・実践面においても伝統的キリスト教との乖離は大きいので「異端視」されていることが多い(注3)。「異端」は「正統」ありきの概念なので、宗教学の立場から「〇〇は異端である」と断ずるような論じ方はしない。
大学のオリエンテーションで「カルト団体に注意」を呼びかける場面があったと思う。名指しこそしなかったとしても、統一教会は大学側がここで念頭に置いている団体の一つである。(注4)
事件前には報道はされていなかったが、自民党(あるいは安倍晋三)が統一教会を選挙運動などに利用してきていたことは、宗教学の界隈では日本会議(注5)の存在とともに「常識」である。世の中に知られていないことについて、ジャーナリズムの弱さと宗教学の無力さを突きつけられたと感じている。やっと報道されたかと思いきや、関係性が薄いなどと両者の関係を矮小化しようとする傾向が見られるのは不正確で残念。
そんな教団の外面だけはいい会見がほとんど無批判にテレビで垂れ流されたことに対しては憤りすら覚える。
統一教会との関係は安倍晋三の祖父・岸信介の頃からあった。岸も何度か統一教会本部で演説をしている。
公安調査庁の監視団体からは2006年に外されている。2006年は安倍政権下である(注6)。(一方で共産党はいまだに監視団体とされている。(注7))
自民党との関係は、教団の会見にあった「世界平和という主旨に賛同していた」程度ではない。保守的家族観、同性愛嫌悪、反共産主義などで強い協力関係を結んでいる。ただし、「強い協力関係があること」から「自民党は統一教会に乗っ取られている」と結論づけるのは論理の飛躍なので慎重になった方がいい(注8)。
ただ教義上は韓国を日本に対して優位に置く統一教会と、嫌韓傾向の強い自民党がどう折り合いをつけているかは私もよくわかっていない(注9)。そこは実利的なところでつながっているのだと推測している。「教義」があっても状況に応じて解釈を加えながら活動するのが宗教であり、人間である(注10)。
また安倍晋三は関連団体(≒統一教会)のイベントに去年もオンライン出席し、教団を讃える発言をしている。全国霊感商法対策弁護士連絡会から、統一教会との関係について再三の忠告を受けているが無視してきた。 2021年9月にはこのような抗議文が出ている。
全国霊感商法対策弁護士連絡会「公開抗議文 衆議院議員 安倍晋三 先生へ」(注11)
もちろんこのような形での殺害が許容されると言いたいわけではない。それは許されないことを前提とした上で、(このような悲劇を二度と生まぬためにも)事実関係がボカされずに明らかにされるべきだと考えている。
今回の事件は「一般的に考えられてきたところの政治的な問題」ではない。しかし、この問題を「私的領域の宗教の問題」に押し込めてはいけないと考えている。宗教は私的なものというのは一昔前の宗教概念である。この件は、社会的に問題視されていた宗教と政治(家)が関係を持っていたという「政治=宗教問題」として捉えるべきである。
(注1) https://www.jstage.jst.go.jp/article/religionandsociety/17/0/17_KJ00008128500/_pdf/-char/ja
(注2) https://youtu.be/QQPc644aNMs
(注3) 日本カトリック司教団「世界基督教統一神霊協会に関する声明」1985年を参考。https://www.cbcj.catholic.jp/1985/06/22/4022/
(注4) そんな教団をテレビのコメンテーターが「世界平和を目指すいい宗教」というようなことを言っているのは、端的に言って市民生活にとって有害である。
(注5) http://www.nipponkaigi.org/
(注6) 因果関係は私には断定できないので、指摘に留める。
(注7) 共産党が破防法に基づく調査対象団体であるとする当庁見解 | 公安調査庁
(注8) 根拠なくこれを言ってしまうのは陰謀論の始まりだろう。陰謀論とは根も葉もないことというよりも、既にある根を使ってあり得ない花を咲かせてしまうことなのかもしれない。
(注9) 推測だが、この違和感も「安倍晋三と統一教会の関わりは希薄」という印象に一役買っているのではなかろうか。
(注10) 教義を字義通りに受け止めることも、見て見ぬふりをすることも、広く「解釈」の範囲に含めている。
(注11) https://www.stopreikan.com/kogi_moshiire/shiryo_20210917.htm
資料集
◯ 短めのもの・一般向けのもの・ネット記事 ◯
藤原聖子「「鏡」と「擁護」 : オウム真理教事件によって宗教学はいかに変わったか」『東京大学宗教学年報』1996年、第13号、17−31頁。
塚田穂高「書評と紹介 櫻井義秀 ・中西尋子著 『統一教会: 日本宣教の戦略と韓日祝福 』『宗教と社会』2011年、第17号、78−84頁。
塚田穂高編『徹底検証 日本の右傾化』筑摩書房、2017年。
浅山太一『内側から見る創価学会と公明党』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017年。
池澤優・藤原聖子・堀江宗正・西村明編『いま宗教に向きあう』全4巻、岩波書店、2018年。(特に第1, 2巻の国内編)
伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス: 政治と宗教のいま』岩波新書、2018年。
鈴木エイト「自民党安倍政権と統一教会。2013年参院選時に蠢いた策動<政界宗教汚染〜安倍政権と問題教団の歪な共存関係・第1回>」『ハーバー・ビジネス・オンライン』2019年。https://web.archive.org/web/20190205091318/https://hbol.jp/183109
島薗進『新宗教を問う: 近代日本人と救いの信仰』筑摩新書、2020年。
塚田穂高「(にじいろの議)「宗教2世」問題 信者だけの話ではない」朝日新聞、2021年7月14日夕刊。
塚田 穂高 (@hotaka_tsukada) / Twitter 事件直後から精力的に発信されている。
鈴木エイト ジャーナリスト/作家/物書き (@cult_and_fraud) / Twitter やや日刊カルト新聞 主筆
紀藤正樹 MasakiKito (@masaki_kito) / Twitter 霊感商法問題に携わってきた弁護士
【"統一教会"の献金などの活動を非難】紀藤正樹弁護士ら全国霊感商法対策弁護士連絡会が記者会見 7月12日の会見。Youtube動画。教団の会見よりもこっちを垂れ流した方がいい。
旧統一教会と「関係アリ」国会議員リスト入手! 歴代政権の重要ポスト経験者が34人も 2022年7月16日の日刊ゲンダイの記事
藤原聖子編『日本人無宗教説ーその歴史から見えるもの』筑摩書房、2023年。(2023/08/03追記)
◯ さらに知りたい人向け ◯
タラル・アサド(中村圭志訳)『宗教の系譜: キリスト教とイスラムにおける権力の根拠と訓練』岩波書店、2004年。(原著1993年)
ホセ・カサノヴァ(津城寛文訳)『近代世界の公共宗教』筑摩書房、2021年。(原著1994年) (500頁を超える大著だが去年文庫化された。読む価値あり)
櫻井義秀・中西尋子 『統一教会: 日本宣教の戦略と韓日祝福 』北海道大学出版会、2010年。(これは500頁を越える大著。私も未読)
磯前順一『宗教概念あるいは宗教学の死』東京大学出版会、2012年。
塚田穂高『宗教と政治の転轍点: 保守合同と政教一致の宗教社会学』花伝社、2015年。
伊達聖伸編『ヨーロッパの世俗と宗教: 近世から現代まで』勁草書房、2020年。
島薗進・末木文美士・大谷栄一・西村明編『近代日本宗教史』全6巻、春秋社、2020−21年。(第6巻の冒頭2章だけでも読むといいかも)
内容について問い合わせがある場合は以下のリンクからお願いします。
0コメント